仕事もちゃんと完成させて納品して公開されました!
2026年8月20日木曜日
2026年8月18日火曜日
2026年8月15日土曜日
2026年8月13日木曜日
2026年8月10日月曜日
中華製品、好きよ
妻の仕事の手伝いで俺も3台の3Dプリンターを酷使しまくってるんだけど、今日そのうちの1台が壊れた。でもまぁ熱でフィラメントを溶かしながら高速でノズルを前後左右に動かして作っていく機械だから、どうしても故障は多いってわけで、しょうがない。よくあるのだ。
俺の使ってるbambu labのA1 miniっていうのは、さすが中華製品というか、全部が簡単に外せたり交換したり出来るようになっていて、何かが壊れても修理・交換するのが簡単。今回もエクストルーダーというフィラメントを送るパーツを外して交換してちょっと清掃して組み立てたら、なんやかんやで直った。
こういうなんでも自分で修理しやすいようになっているのが中国っぽくてすごい好きだなー。アメリカや日本の製品ならこうはならない。すべてがバチっとはまってて、素人には絶対に修理できなさそう。
スマホも中華メーカーだし、なんか好きなんだよな。中国憧れ。
2026年8月6日木曜日
お父さんはずっと自分一人で会社やってて、それが株の研究するソフトを作って売るという会社。今俺も人の親になってみてわかるけど、そんな商売で嫁はんは専業主婦で子供を3人も育てて家も建てて、ってすごすぎるよな。
まぁそれは置いといて、俺が株だ株だって言ってるのも確実にその影響にあると思う。
お父さんのやってた仕事は株取引じゃなくて勉強とか研究のソフトを作るっていうもので、俺は直接株を自分の勘で買うっていうものなので、遠いっちゃ遠いけど、親しみはあったのかもなー。
一度お父さんに「株やってるねん、アップルとかテスラとか」って言ったらいつか絶対に下がる!って言われておもしろかったw
俺としては下がるわけないって思ってるけど、お父さんは自分の仕事が、パソコンの黎明期からはじまって、最盛期、円熟期を迎え、40年サバイブして、最後はすべてをスマホに奪われた(つまり、パソコンソフトを買って株を研究するという人は減り、スマホで片手で情報を調べてポチポチ売買するのが当たり前の時代になって、お父さんの作ってるものは古いモノになった)と思ってるので、時代の栄枯盛衰を知っているんだなーって思った。
無かったものが登場して、それが浸透して、やがて古いものになるというのを自分の人生や仕事を通して実体験で知っているのは経験値としてすごいなって思う。
2026年8月2日日曜日
GEZANの件、事件そのものより、自分が前から感じてたモヤモヤの話をしたい。
あのバンド、自主レーベルで武道館まで行ったんだよな。曲も演奏も、MVもサイトもグラフィックも全部レベル高くて、しかもたぶんほとんど自分らでやってる。それだけでもう化け物みたいな才能だと思う。そのうえで平和とかNO WARとか、今どき真顔で言うのがめちゃくちゃ難しくなった言葉を、恥ずかしげもなくどまんなかストレートで投げてくる。戦争反対とか絶対間違ってないのに、「そんな単純な話じゃないでしょ」って複雑ぶったり、意識高いって茶化したりするほうが楽な時代じゃん。その中で照れずに言って、しかも表現として成立させてしまう。あれはほんまに誰でもできることじゃない。だからあの人を信じたいと思った人、めっちゃいたと思う。
ただ、俺は本人の歌だけがずーっと引っかかってた。
まわりの作り込みはあんだけ細部まで美意識バキバキに効いてるのに、歌だけが子どもみたいで、下手なまま置きっぱなしなんだよ。いやそれが味だって好きな人がいるのはわかる。でも俺にはそこだけ浮いて見えた。全部に厳しい基準を当ててる人が、自分だけ例外にしてない?っていう。
しかもその下手さが「純粋」「衝動」ってことで肯定されちゃう。まわりの完成度の高い音とか絵とか文章がそれを支えて、むしろ全体の説得力を上げる材料になってる。幼稚さを純粋さにすり替えて、その尻拭いを他の全部のクリエイションにやらせてるんじゃないか、と。まあまあ意地悪な見方だとは思うけど、俺にはそう見えてた。
幼稚じゃなくて純粋。攻撃的じゃなくて信念が強い。自己中じゃなくて妥協しない。で、掲げてる言葉は誰も反対できないNO WAR。純粋さと、否定しにくい正義。これ両方とも批判を封じるんだよな。子どもみたいな人を責めたら責めたほうが大人げなく見えるし、平和を願う人を疑ったら疑ったほうが冷笑野郎に見える。この二枚重ねで、批判が届かない場所が完成する。
でも、それが最初から計算ずくの戦略だったとは思わない。むしろ本人がガチで、自分は純粋で弱い者の側にいる人間だ、って信じてたんじゃないかな。で、まわりもそう信じた。作品は評価されて、人が集まって、デカい会場まで行った。歌を変えなくても支持されるし、強い言葉出したら褒められるし、長い文章書いたら思想として受け取ってもらえる。そうやって褒められる回路だけ太くなって、自分を疑うルートがだんだん塞がっていったんだとしたら、そっちのほうが怖い。批判が届かない環境って人の歯止め外すし、それは特別な悪人だけの話じゃないだろ。
事件のあと、「もともとあの人アレだったよ」って声もちょいちょい見た。勇気出して自作のCD渡したら「何?」「で、何?」ってめっちゃ高圧的に返された、みたいな話もあって。まあネットの体験談だしどこまでほんまかはわからん。有名な人が渡されるもん全部に興味持てるわけないしな。ただ俺も昔、有名人に自作CD渡したことあるんだよ。その人はそこまで高圧的ではなかったけど、まったく興味ないのだけはビンビン伝わってきて、まじで恥ずかしかった。だから知らない相手に自分の作品を差し出す勇気の重さも、それを雑に扱われたときの惨めさも、まあまあわかる。
弱い者の側に立つ、って歌ってる人が、目の前にいる一番弱い立場の無名の表現者を「で、何?」で処理したんだとしたら、歌がうまいとか下手とかよりよっぽど本質的なアンバランスだろ。社会のデカい権力には敏感なのに、自分がその場で相手にかけてる圧には鈍い。弱者の側にいるって自己認識が強すぎると、その瞬間の自分が強者になってることが見えなくなる。
とはいえ、事件が起きたあとから過去を一本線でつなぐのは慎重でいたい。後から振り返ったら全部が予兆に見えてくるからな。歌い方からしておかしかったじゃん、あの態度見ればわかるじゃん、って言いたくなる。でも俺が感じてたのは表現上の不自然さであって、加害の予兆じゃない。歌が下手なことと人間性に直接の関係もない。むしろ事件と安易にくっつけないほうが、この違和感は批評として正確だと思う。全部に厳密な美意識を効かせる人が自分だけ例外にしてること、その未熟さが欠点じゃなくて才能として扱われてること。これ、事件がなくても言えたし、ほんまは起きる前に言えたはずのことなんだよ。
純粋さと性加害って言葉が並んだとき、マイケル・ジャクソンのこと思い出さずにはいられなかった。いや、事実関係が同じだって言いたいわけじゃないよ。ただ、「あの人は普通の大人とは違う、子どもみたいに純粋な人だから」っていう物語が、本人を普通の批評とか倫理の外に置いてしまう構造。あれには同じ種類の怖さを感じる。
今回いちばん怖かったのは、純粋な人が加害したっていう矛盾そのものじゃない。自分には悪意がない、自分は弱者の側にいる、だから自分は人を傷つけない。その物語が強すぎて、自分が加害する側になる可能性を本人もまわりも想像できなくなってたんじゃないか、ってことだ。加害って悪意のあるやつだけがするもんじゃないだろ。自分の欲を優先して相手の意思とか境界を軽く扱ったら、どんだけ平和や愛を信じてても人は傷つく。
で、何より今回の件には傷つけられた人がいる。作品どう聴けばいいんだとか、ファンがどんだけ裏切られた気持ちかとか、本人が復帰できるのかとか、そんな話は全部その後ろだろ。すごい表現者が転落した物語でもないし、信頼が裏切られた物語でもない。まず、実際に被害を受けた人がいるっていう話だ。