GEZANの件について、
あのバンドは自主レーベルで武道館まで行った。曲も演奏も、MVもサイトもグラフィックも質が高くて、たぶんその多くを自分たちの手でやっていると思う。それだけでもう神業に近い。しかもそのうえで、平和とかNO WARとか、今どき真顔で言うのが難しくなった言葉を、恥ずかしげもなくどまんなかストレートで言い切ってみせた。戦争反対なんて絶対に間違ってないのに、「そんな単純な話じゃない」と複雑ぶったり、意識が高いと茶化したりするほうが楽な時代に、照れずに言って、しかも表現として成立させる。ほとんどの人にはできないことだと思う。だからあの人を信じたいと思った人は多かったはずだ。
ただ、自分は本人の歌だけがずっと引っかかっていた。
周りのクリエイションはあれだけ細部まで美意識が行き届いているのに、歌だけが子どもみたいで、技術的には未熟なまま置かれている。それを味として好きな人がいるのはわかる。でも自分にはそこだけが浮いて見えた。全部に厳密な基準を適用する人が、自分自身だけを例外にしているように見えたのだ。
しかもその未熟さは「純粋さ」「衝動」として肯定されていた。周囲の完成度の高い音や絵や文章がそれを支えて、むしろ全体の説得力を上げる材料にすらなっていた。幼稚さを純粋さにすり替えて、その尻拭いを他のすべてのクリエイションにやらせている。意地悪な見方だとは思う。それでも自分にはそう見えた。
幼稚ではなく純粋。攻撃的ではなく信念が強い。自己中心的ではなく妥協しない。そして掲げる言葉は反対のしようがないNO WAR。純粋さと、絶対に否定しにくい正義は、どちらも批判を封じる。子どもみたいな人を責めれば責めた側が大人げなく見えるし、平和を願う人を疑えば疑った側が冷笑的に見える。この二重のラベルで、批判が届かない場所ができあがる。
とはいえ、それが最初から計算された戦略だったとは思わない。むしろ本人が本気で、自分は純粋で弱い者の側にいる人間だと信じていたんじゃないか。周りもそう信じた。作品は評価され、人が集まり、大きな会場まで行った。歌を変えなくても支持され、強い言葉を出せば称賛され、長い文章を書けば思想として受け取られる。そうやって褒められる回路だけが太くなって、自分を疑うルートが少しずつ塞がっていったのだとしたら、そっちのほうが怖い。批判が届かない環境は人の歯止めを外すし、それは特別な悪人だけに起きることじゃない。
事件のあと、もともと人間性がアレだった、という声をいくつも見た。勇気を出して自作のCDを渡したら「何?」「で、何?」と高圧的にあしらわれた、という話もあった。ネットの個人の体験談だから、どこまで正確かはわからない。有名な人が渡されるもの全部に興味を持てるわけもない。ただ自分も昔、有名人に自作のCDを渡したことがある。その人はそこまで高圧的じゃなかったけれど、まったく興味を持たれていないことだけは伝わってきて、死ぬほど恥ずかしかった。だから知らない相手に自分の作品を差し出す勇気の重さも、それを雑に扱われたときの惨めさも、わりとわかる。
弱い者の側に立つと歌う人が、目の前にいる一番弱い立場の無名の表現者を「で、何?」で処理したのだとしたら、歌がうまいか下手かなんかより、よっぽど本質的なアンバランスだ。社会の大きな権力には敏感なのに、自分がその場で相手に与えている圧には鈍い。弱者の側にいるという自己認識が強すぎると、その瞬間の自分が強者になっていることが見えなくなる。
ただ、事件のあとから過去を一本の線でつなぐことには慎重でいたい。振り返れば全部が予兆に見えてくる。歌い方からしておかしかった、あの態度を見ればわかった、と言いたくなる。でも自分が感じていたのは表現上の不自然さで、加害の予兆ではないし、歌が下手なことと人間性に直接の関係はない。むしろ事件と安易に接続しないほうが、この違和感は批評として正確だと思う。全部に厳密な美意識を適用する人が自分だけを例外にしていること、その未熟さが欠点ではなく才能として扱われていること。事件がなくても言えたし、本当は起きる前に言えたはずのことだ。
純粋さと性加害という言葉が並んだとき、マイケル・ジャクソンのことを思い出さずにはいられなかった。事実関係が同じだと言いたいわけじゃない。ただ、あの人は普通の大人とは違う、子どものように純粋な人だから、という物語が本人を通常の批評や倫理の外に置いてしまう構造には、同じ種類の怖さを感じる。
今回いちばん怖いと思ったのは、純粋な人が加害した、という矛盾そのものではない。自分は悪意がない、自分は弱者の側にいる、だから自分は人を傷つけない。その物語が強固すぎて、自分が加害する側になる可能性を本人も周囲も想像できなくなっていたんじゃないか、ということだ。加害は悪意のある人間だけがするものじゃない。自分の欲望を優先して相手の意思や境界を軽く扱えば、どれだけ平和や愛を信じていても人は傷つく。
そして何より、今回の件には傷つけられた人がいる。作品をどう聴けばいいのかとか、ファンがどれだけ裏切られたと感じたかとか、本人が復帰できるのかとか、そういう話は全部その後ろにある。優れた表現者が失墜した物語でも、信頼が裏切られた物語でもなく、まず、実際に被害を受けた人がいるという話だ。