GEZANのヤツさぁ・・・、うああああああ、、、もうほんっっっと最悪だよね。
でもあらためて曲を聞いたらめっちゃFAKEっぽい作風で、それを踏まえたらやっぱりなって感じ。なめんなよ。
明日は久々の撮影だ。
AI(ChatGPTとClaude)を駆使して準備してる。
ほんっっっっっとAIって便利だね。壁打ちでアイデアも考えてくれるし、資料も作ってくれるし、何より俺を励ましてくれるのが尊い。
んでまぁなんとか最後までAI上でアイデアやらをやり取りしまくって作って、企画書やシーン構成、カットリストまで作った。
もっとAIを信じたらいいと思ってきた。全然細かい要望まで引き受けてくれるんだね。すごい。ChatGPTだと今あたらしい、Solっていうやつとか、ClaudeのFable5とかOpus5は、めちゃめちゃ賢いからもう本当に役に立つ。
どっちもに課金してるけど、これ仕事をするなら結構重要かもしらん。同じ質問を投げても帰ってくる答えが違ったりするし、それのいいとこ取りをすればよかったり、同じ答えが返ってきたらきたで確信になるし、ほんま便利。
ChatGPTとClaudeが2大巨頭だと思うので、これに3000円ずつ毎月課金したらマジで一般的な仕事利用レベルだと十分すぎるんじゃない?そこまで使わないならChatGPTだけでもいいけど、二台持ちに慣れたらこれ手放せへんで。。。
子どものYoutubeを禁止して(一応いまのところU-NEXTやネトフリ、Disney+などの映画やアニメや音楽はOKで、Youtubeの、特にショート動画はもう絶対に禁止。脳がやられる。)、あとは欲しいものも何でも買い与える前に、一旦本当に必要かどうか、それを買ってどうなるかを考えてから買う、とかそういうのを意識するようになって、こっちもめちゃくちゃ勉強になった。まずこっちも子どもがいる時にYoutubeとかスマホばっか見ちゃうみたいなのを意識するようになってきて、そのおかげで本をよく読むようになった。
前からSF小説を読みたくてちょいちょい買ってたんだけど、買ったものの全然読んでなくて積ん読が溜まってたんだが、それを最近はちょこちょこ消化出来てる。最近読んでるのはキム・チョヨプさんという韓国人の小説家のSF短編集。短編集だと読みやすくて本を読むリハビリになるね。
いずれは途中で止まってる三体を読みたいなー。
三体とかキムチョヨプさんとか、アジアの作家に興味がある。アジアのSFがいい。なんかやっぱちょっと雰囲気が違う気がする。三体の人がディレクションした短編集もこの前かったからそれもよんでこっと。
あとは漫画も買うようになった。この前買ったのは「バクちゃん」という漫画で、マジでなんども涙腺がじわっときた、いい漫画だった。
移民の話なので、自分ももっと勉強したいなって思った。
自分は移民OK、ガンガンウェルカム派の思想なんだけど、世間一般は移民嫌だっていう人が多いと思うから、そこちゃんと調べたい。
今めちゃくちゃ円安になってて、俺は全財産ほぼ米国株だから円としては資産額が増えてて、まぁいうても俺の予想では150円台で安定するんじゃないかなって思ってるんだけど、だからって今のドル高のうちに円に戻すかと言ったら全然そんな事は思わない。
俺の脳だと株は大きな流れとして捉えた方が考えやすいので、目先のドル円がいくらだ、で損した得したなんて些末な問題で、10年後に世の中がどうなってるのか、考える事が大事だと思ってる。
今のドル円も、目先の高市政権がなんじゃ、金利がかんじゃ、で上下する事に対応するよりは、もっとデカい流れで、結局日本が強ければ円高になるだろ、っていう話だと思うので、その方針や流れに従っていくのが簡単だよね。
日本なんて今後強くなりようがないんだから、円安になるしかないんだよな。
あとは、まだまだ俺の考える便利な世の中になってない。つまり自動運転が当たり前のものとして普及してない。それまでは今俺がもってるIT関係の株はまだまだ上がると思ってて、自動運転の世の中がきてようやく次の時代になるはず。AIもめっちゃ進化してるからもうすぐだと思うけど、2030がやっぱり節目なのかなって思う。
だから、やっぱり投資しか勝たん。
子どもが大きくなるにつれて、本を紙で買うことが増えてきた。
これまでは漫画も小説もほとんど電子で買っていたけれど、最近は「これ、いつか子どもも読むかもしれないな、読んでほしいな」と思ったやつは、紙で買っている。
自分が子ども時代に読んでて好きだったやつとかも、また読みたいなって自分が思うものは買い直したりしてて、少年少女日本文学館とか、おいおい全部そろえたいな。
で、そろそろドラえもんを買っていきたいなって思うんだけど、一点だけ、お風呂シーンみたいなのが結構頻発してるのだけめっちゃノイズで、さすがにこの令和の時代に合ってなさすぎる昭和の意識が、超気になる。
HiggsFieldというAIで画像や映像が作れるサイトがあって、ずっと前にそれを間違えて年間契約してしまったのでちょいちょい使ってるんだけど、ここにAI映像制作のコースがたくさんアップされてるから試しに受講してみようと思って見始めたんだけど、これすごいね。
めちゃくちゃおもしろい。
なんか、やっぱ普段あんまり勉強しないからか、たまに勉強するとワクワクする。大学卒業して何もすることがなくなって、時間つぶしに映像作り始めた頃の気分に戻れる。
なんか、これが出来るようになったら何でも作れるやん!って気持ちになれる。
とにかくAI生成は仕込みが肝心で、こういうのを作りたい、っていう設計図がひたすら重要。その部分もAIにお願いしたり出来るからサクサクしらべて指示を作る。そういうのがないとガチャになるし、それは時間とお金の無駄なので、いったん出力してダメなところを指摘して直していくとかも有効っぽい。
やっぱり、親が子供を導いてあげるのはめっちゃ大事なんだな、と思った。
今まではどこかに行く時も、
「ここ行く?」
「これ見たい?」
みたいに、子供にお伺いを立てて、OKだったら行く、みたいな感じが多かった。
でも子供に聞いたら、そりゃ公園とかおもちゃ屋とか、自分が知ってる楽しいところを選ぶよな。
まだ知らないものを「好き」とは言えないわけで。
ということで昨日は、普段あんまり行かないけど、みんなでアートでも見に行こうと思った。
今回は子供に聞くというより、
「今日はもう行くからねー」
みたいな感じで。
最初は六本木の森美術館に行こうとしたんだけど、予約がいっぱいだった。
じゃあコレは明日にして、今日はされどうしようかと思って、最近子供が本を好きだから、本屋とパン屋が合体したようなかわいいところがあったので、そこに行こうとしたら、乗り換えの渋谷でおもちゃ屋さんに引っかかった。
子供は当然そこで夢中になって、時間がどんどんなくなっていく。
子供のやりたい事に合わせるとこうなるんだよな。またやってしまった、と思った。
でも、せっかく今日は普段と違うところに行こうと思って出てきたので、ほかの展示を探して、さらに予定を変更して、虎ノ門まで行ってその展示を見てきた。
展示の内容はぶっちゃけまあまあで、ものすごく良かったという感じでもなかったけど、普段だったら絶対に行かない場所に行けたので、それはそれで楽しかった。
子供にとっても、たまには全然知らないところに連れていくのはかなり大事なんだろうな、と思った。
そんで今日は海の日。
今週はもう「子供を導いてあげる系を意識する週間」ということで、海に行くことにした。
実は子供は、まだ海に行ったことがなかったのだ。
で、調べてみたらウチからは江の島が行きやすそうで、周りにも水族館とか色々あるし、良さげだったので行ってきた。
当初は、海で遊ぶと言ってもちょっと足だけ入ってちゃぷちゃぷ遊んで、そのあと江の島水族館に行ったり、観光したりしたらいいよね、くらいに思っていた。
でも子供が、初めての海にめちゃくちゃ興奮して、結局、夕方近くまでずっと海で遊んだ。
めちゃくちゃ楽しそうだったし、俺もめっちゃ楽しかった。
やっぱり初体験をどんどん提供してあげないといけないな、と思った。
次はこれはもう完全に自分の趣味なんだけど国立博物館に行きたいなー。
子供の頃、別に全然興味もないのに、親に奈良国立博物館へ連れていかれたことがある。
何を見たかはほとんど覚えてないけど、連れていかれたこと自体は今でも覚えている。
その時は何も分かってなくても、そういうのがその子の思い出になっていくんだろうな。
ほんと、生まれてきてくれてありがとうだよ。
とにかく海は楽しかった。
ちょっと前にYoutubeを全面的に禁止にしてから、子供がものすごく良くなった。本を読むように鳴ったりダンスしたりなんやかんや。
動画も、あのうるさいだけの、再生数を稼ぐためだけの、ショート動画に毒されてしまっていたのを、U-NEXTとかDisney+とかの動画だったら何でもOKにしたら、めっちゃ映画とかも見るようになったし、ほんと良かった。
今日子供がYoutubeでダンス動画だけ見たら、そのついでにこれまで見ていた刺激的でつまらない動画が関連に出てきて、それを見たいといい出した。1つだけなら、としぶしぶ認めたが、案の定それを見終わったら次も見たいとゴネかけた・・・その瞬間に「今やめよう!次も次もとどんどん見たくなるよ。前みたいにいつまでも見る事になるよ。だから今やめとこう。これで終わりにしよう。」と諭したら、聞いてくれて、違うもので満足するものを探してくれた。
本当にYoutubeをやめてよかった。
次は環境作りだと思う。
親が子供の手本になってあげないといけない。
だから子供の前で積極的に本を読もうと思ってる。買うだけ買って呼んでない本が山程あるから、それらを読んでいこうっと。
保育園の年長になる娘が、最近、あるお友達からちょこちょことプレゼントをもらってくるようになった。
最初は小さな物だったのだけれど、あるとき、小さなぬいぐるみをもらってきた。何かをもらったのだから、こちらもお返しをしなきゃいけないよね、ということで、いろいろ買ってお返しをした。
ただ、その後も相手の子はちょこちょことプレゼントをくれる。こちらも何か返して、また向こうから何かをもらって、という感じになっていた。
そんなある日、相手の親御さんから、
「こんな物をもらったんですが、大丈夫でしょうか?」
という連絡が来た。
ビーズで作られたネックレスだった。
実際には、それはうちの子があげた物ではなかったのだけれど、その連絡をきっかけに、娘がこれまで何をあげたのかを確認してみた。
すると、娘がママにおねだりして買ってもらった、3,000円くらいするスティッチのぬいぐるみや、自分の誕生日に買ってもらった人形についていた、キラキラしたユニコーンの角なんかも、友達にあげていたらしい。
物の値段とか、それをどういう経緯で買ってもらったのかとか、そういうことは全然気にしていないようだった。
もちろん、友達に何かをあげたいと思う気持ちは優しいと思う。自分もいろいろもらっているから、お返しをしなきゃと思ったのかもしれないし、友達が喜ぶと思ったのかもしれない。
ただ、親としては、正直ちょっと引っかかった。
そのぬいぐるみは、本人がおねだりをして、ママが3,000円を出して買ってあげた物である。買う側としては、値段も考えるし、本当に欲しいのか、ちゃんと大切にするのか、いろいろ考えたうえで、娘が欲しいと言うなら。。。という気持ちで買っている。
それを本人が、何の気なしに友達にあげてしまう。
相手の親御さんから連絡がきて、改めて考えて、
「これはちょっと違うんじゃないか」
と思った。
そして、そもそも自分は子どもの「欲しい」という言葉を、真に受けすぎていたのではないかと思うようになった。
これまでは、娘が何かを欲しいと言ったとき、まずは買う方向から思考がスタートしていた。
買ってあげようかな。でもちょっと高いな。家に似たような物があるな。今日はやめておこうかな。
そんな感じで、最終的に買わないことも多いのだけれど、買う時もあるし、最初のスタート地点としては、いつも「買ってあげたら喜ぶかな」というのが最初に浮かんできていた。
でも、娘はまだ5歳である。
本人が「欲しい」と言っていても、本当にその物を長く持ちたいとか、大切にしたいとか、そういう意味で言っているとは限らない。
目の前にあって、かわいいと思った。
お友達が持っている。
今、その瞬間に欲しくなった。
買ってもらえるかもしれないから、とりあえず言ってみた。
たぶん、そのくらいのことがかなり多いと思う。
じゃないと、自分がおねだりして買ってもらった数千円のぬいぐるみを、そんなにあっさり友達にあげたりはしないだろう。
もちろん、ぬいぐるみをあげたことと、最初から欲しくなかったことは、必ずしも同じではない。友達に喜んでもらいたいという気持ちの方が、そのときは勝ったのかもしれない。
ただ少なくとも、大人が考えるような、
「これは本当に欲しい物で、これから長く大切にしたい」
という重さで「欲しい」と言っているわけではないのだと思う。
娘はよくガチャガチャを見つける度にやりたいと言う。
毎回やらせてたらキリがないけど、たまにはやらせてあげる。
で、ある時またガチャガチャを見つけて「コレやりたい、ダメ?」と言ってきたのでたまにはいいかと「しょうがないなー」と言いながら、やらせてあげた。
そして300円だか払ってガチャガチャっとして、出てきた物は娘が欲しかった物ではなかった。すると娘は、ちょっと不機嫌になった。
そのときに、
「え、これ何?」
と思った。
こっちは娘がねだってきたから、喜んでもらえるかなと思ってお金を払った。で、娘は欲しい物が出なくて不機嫌になった。もちろん出てきた物を大事にするわけでもない。
結局、家にまたよく分からない物がひとつ増えただけである。
お金を払って、不機嫌と、ほとんど使われない物を手に入れる。
意味が分からない。あまりにも不毛すぎる。
最近は、ブラインドボックスのおもちゃも流行っている。中に何が入っているか分からない。欲しいキャラクターが出るかもしれないし、出ないかもしれない。
何が出るか分からないこと自体が楽しいのだろうし、子どもが欲しくなる気持ちも分かる。
ただ、欲しい物が出なかったら不機嫌になるのであれば、そもそもその遊びに向いていない。
ガチャガチャというのは、何が出ても受け入れる遊びである。欲しい物が決まっているのなら、それを普通に買った方がいい。
何が出ても楽しめるときだけやる。
それでいいと思う。
少なくとも、欲しい物が出なかったからもう一回やらせるとか、機嫌を直すために別の物を買うとか、そういうことはもうやらなくていい。
「残念だったね。でも、何が出るか分からない物だからね。不機嫌になるならパパはお金は出さないし、自分のお金でやってね。」
で終わりである。
娘は、すでにぬいぐるみを山ほど持っている。
それでも、おもちゃ屋で新しいぬいぐるみを見つけると、すぐに「欲しい」と言う。
そして、自分でも買ってもらえない可能性が高いことを分かっているのか、
「だめだよね?」
と続ける。
たいていは買わない。
でも、たまに買う。
そして、ほとんどの場合、それほど大事にはしない。
娘にはすでに、生まれた頃から持っている、絶対的にお気に入りのクマのぬいぐるみがある。新しいぬいぐるみをいくら買ったとしても、結局、そのお気に入りには勝てない。
だったら、新しいぬいぐるみを見て言う「欲しい」は、
「今これを見て、かわいいと思った」
くらいの意味なのかもしれない。
それなら、その気持ちをいちいち物を買うことで満たさなくてもいい。
「かわいいね」
「欲しいと思ったんだね」
で終わっていい。
欲しいと言われたら、買うかどうかを検討しなければならないと思っていたけれど、別にそんなことはなかった。
欲しいという気持ちは受け取る。
でも、買うかどうかは別の話である。
当然だけれど、5歳の子どもには、数千円という金額の価値はまだ分からない。
3,000円を稼ぐことがどのくらい大変なのかも分からないし、親がどんな気持ちでそのお金を出しているのかも分からない。
おねだりされて、買うかどうか迷って、それでも喜ぶならと思って買った。
そんな親側の気持ちまで、5歳の子どもが理解できるはずもない。
だからこそ、買ってもらった物を軽い気持ちでないがしろにできる。
別に娘が悪いという話ではない。分からない年齢なのだから、分からなくて当然である。
ただ、分からないのであれば、親が判断しなければいけない。
子どもが欲しいと言ったから買う。
自分の持ち物だから、好きに人にあげていい。
そこまで全部を子どもに任せる必要はない。
今後は、友達に何かをあげたいときは、必ず親に確認することにしたい。
高かった物や、誕生日にもらった物は、勝手にあげない。友達に何かあげたいなら、絵や手紙にする。
そもそも、物をあげないと友達でいられないわけではない。
今回のように、お互いにプレゼントを渡し合う流れが続いてしまうと、子ども同士も「自分も返さなきゃ」となってしまう。親も毎回お返しを考えることになる。
なので、このあたりで一度、
「おもちゃをあげるのはやめよう。何か渡したいなら、絵や手紙にしよう」
というルールにしてもいいのだと思う。
今回の件を通して、もうひとつ思ったことがある。
子どもの言うことを、何でも真に受けすぎなくていいのではないか、ということだ。
例えば、娘に、
「何が食べたい?」
と聞くと、
マクドナルド、サイゼリヤ、ステーキ。
だいたい、この3つしか出てこない。
でも、よく考えたら当然である。
それしか知らないからだ。
知っている物の中からしか、選ぶことはできない。
まだ世界をほとんど知らない人に「何が食べたい?」と聞き続けたところで、そこから新しい物は出てこない。
毎回マクドナルド、サイゼリヤ、ステーキの中から選ぶだけである。
それで子どもの意思を尊重しているような気になっていたけれど、実際には、子どもの知っている狭い範囲の中を、ずっとぐるぐる回っているだけなのかもしれない。
だったら、食べる物は基本的に親が決めていい。
もちろん、たまにはマクドナルドに行ってもいい。でも、2か月に1回くらいでも全然いい。
普段は、
「今日はここに行くよ」
「今日はこれを食べるよ」
と親が決める。
娘が知らない物を食べさせる。知らない場所へ連れていく。自分からは選ばないような経験をさせる。
子どもの希望を聞くことは大切だけれど、すべてを子どもに決めさせることが、子どもの意思を尊重することではない。
「どこに行きたい?」
と毎回聞くよりも、たまには有無を言わさず連れ回すことも大事だと思う。
だって、知らない場所を行き先として選ぶことはできないのだから。
親が連れていかなければ、子どもの世界はなかなか広がらない。
もちろん、本当に嫌がっているのに無理やり何かをさせる、という話ではない。
大枠は親が決めて、その中で子どもに選ばせればいい。
今日はうどん屋に行く。そのうえで、うどんと蕎麦のどちらにするかは本人に決めてもらう。
今日はこの公園に行く。そのうえで、自転車で行くか歩いて行くかを選んでもらう。
全部を子どもに任せるのでもなく、全部を親が押しつけるのでもない。
親が方向を決めて、その中に小さな選択肢を作る。
そのくらいが、今の年齢にはちょうどいいのだと思う。
これまでは、子どもの希望をできるだけ聞いてあげることが、子どもを尊重することなのだと思っていた。
欲しいと言った物を、買えるかどうか検討する。
食べたいと言った物を、できるだけ食べさせる。
行きたいと言った場所へ連れていく。
もちろん、たまにはそれでいい。
ただ、親は子どもの希望を叶える係ではない。
子どもはまだ、自分が何を知らないのかすら知らない。
世の中にどんな食べ物があるのか。どんな場所があるのか。どんな遊びがあるのか。
お金にどんな価値があるのか。物を持つことや、人にあげることに、どんな意味があるのか。
それをまだ知らない子どもに、すべての判断を任せることはできない。
親が決める。
親が止める。
親が新しい場所へ連れていく。
その中で、子どもが少しずつ、自分の本当の好みや価値観を作っていく。
それでいいのだと思う。
子どもの言うことを軽く扱うという話ではない。
子どもの言葉を、子どもの年齢に合った重さで受け取る、という話である。
「欲しい」と言われたら、欲しい気持ちは受け取る。
でも、買うかどうかは親が決める。
「行きたい」と言われたら、行きたい理由は聞く。
でも、毎回そこへ行くわけではない。
「食べたい」と言われたら、たまには叶える。
でも、普段の食事まで全部子どもに決めさせる必要はない。
子どもの気持ちを尊重することと、子どもの言うとおりにすることは、たぶん全然違う。
今回のプレゼントの件は、そのことを考え直すきっかけになった。
あばばばば
スマホ買ってもうた・・・w
衝動買い。。。
今回はOppoのFind X9というヤツにした。
今のヤツは見た目は好きなんだけどカメラの挙動がよくもっさりしちゃったり、たまにもたついたり、そういう色々が徐々に気に入らなくなってきて、1年で買い替える事に・・・w
でも今回買ったFind X9は結構いいはず。
カメラも良いらしいので、ありがたい。
今日、実家の妹から連絡があって、お父さんが認知症っぽいと。
あらららら・・・
ついにきてもうたかー・・・
もう79才だもんなー、っていう感じ。
そんで電話で話を聞くと、最近はほとんど会話にもならないし、タバコを買ってきてと言われて用意をしてる間に一人でコンビニに行ってて、追いかけるとレジで店員さんに銀行のキャッシュカード渡して払おうとしてたとか、家の前で倒れてたとか、そういうエピソードを色々聞いた。
施設かなー、デイサービスかなーと考えつつも、結局は実家で父と同居して世話している妹が決めたらいいなと思う。手伝いはするけど、こっちは東京で遠いから何も出来ないし、外部のヤツにあーしろこーしろって言われる事ほどだるいものは無いだろうし、金銭的な
じゃあ今日は久しぶりにお父さんにテレビ電話してみようかと連絡してみたら、
しょうみ話してても全然ボケてないし、普通に会話できた。
妹も「あんな長いこと話してるの久しぶりやった」と言ってて興味深かった。
やっぱり刺激がないとあかんのやろなー。
デイサービスに行ってほしいね。老人の保育園みたいなところで、朝夕に送り迎えしてもらって、ご飯とかレクリエーションとか色々やってくれるっていう。
でもお父さんも妹も、そういうところに行くのをなんか渋りそう。やっぱりずっと田舎に住んでる人だから、今目の前にある物を動かしたくない、そこから動きたくない、っていう気持ちが大きいように感じる。
株は相変わらず上がったり下がったり。
この前なんか一晩で2万ドルさがって、翌日もまた数千ドル下がるというピンチな時があって、マジで自分の『株力』を試された。そういう時は、お地蔵さんみたいな顔になって、見なかった事にしようと頑張る。忘れる。上がる事を信じる。上がってる時も、いつか下がる時がくると思って浮かれない。
まぁそうやって特定の株が下がるとその株の掲示板では「ここを売ってキオクシアを買うべき。そうしないヤツはアホ」みたいな事を言ってる人が山ほど湧いてくるけど、そんなの単にただ今この瞬間に下がってる株と上がってる株を言ってるだけで何の意味もない、虫くらいの脳みそしかないウンジャラゲだから気にする必要がない。
そういう妄言には耳を貸さない。
妄言断つべし!!!