2015年2月5日木曜日

愚痴やめたい

家の近く徒歩2分くらいのところには結構大きい公園があって、そこは緑も豊かでグラウンドとかもあるし犬を連れてる人はドッグランもあるし、公園の横には一周400mの広場もあって、とっても気に入っている。家の近くにこれがあるのと無いのでは住みよさが大きく変わる気がする。何か考える時はそこをひたすら練り歩いたりする。こういう公園がたくさんあるのは東京のいいところだなー。

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明日の打ち合わせがいつの間にかオレのプレゼンになっっっ!?てる!!!!!
ここぞアイデアの見せ所だなぁ。
これがいければいいなぁ。
思い浮かべよなぁ~~俺なぁ~~~。

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やっぱり京都で一番感じていた窮屈さを一言で説明するなら
”足の引っ張り合い”
だなぁ。
すごかった。
嫉妬がすごい。
新しくおもしろいことをするヤツ、急に目立ってきたヤツに対する嫉妬がほんとにすごくて、マジでほんまにすぐ嫌味を言ったりバカにしたりして足を引っ張るんだから!!!
(そういえば、去年末に京都に行った時に、オレの居ない所でオレの奥さんに対して
「オレからしたらチャーシューも池田も渉太も変わらん。渉太に仕事があるのはただ運がよかっただけ。」
って面と向かって言った人がいたらしい。。。
ほんとこういう事なのです、オレの嫌いな京都ってのは・・・。)
大阪に行くまで(新世界ブリッジとの出会いまで)の京都時代は自分が出せない悔しさやもどかしさをずーーーーっと感じてた気がする。
新世界ブリッジと出会ったのは本当によかった。これがなかったらオレは未だに京都でクソみたいな暮らしをしてたと思う。ブリッジではみんなほんまに個性がありすぎて全員が違う方向を向いていて自分の道を追求していてほんとに衝撃を受けたしおもしろかった。俺達もそこでライブをできるようになってめっちゃ世界が広がったし、やっと居場所みたいなのが出来たような感覚があった。今につながる事も発端は全部あの新世界ブリッジから始まってると思う。


一方京都では、、、みんな引っ越したり就職したりで友達が誰も京都からいなくなってバンドも無くなってから、オレはやっと自分らしい活動を始められたのかもしれない。誰かに合わせたりしなくてもよくなったので身軽になった。それは即ち誰にも頼れないということだが元々誰かに頼りたくも無いし、1人で思うがままに勝手にやることは、自分にとって一番素直で納得のいくやり方だったのだ。(そもそもよく考えたら京都でバンドをやる前はずっと1人で打ち込みで音楽を作っていたんやもんね。)
だってさぁバンドとか色々何年もやったけどそのどれもがアルバムの1枚たりとも出来たことないのに、坂本渉太としては何枚もアルバム作ってるしね!!ベスト盤すらある!!MVも!!!!バンドでなぜ作品(音源)が作れなかったのかを考えると、結局俺がドラムだったせいか、ギターやらボーカルやらの人が曲を作るのを指くわえて待ってるしかなかったからだろう。バンドにおいて曲に作りおいてオレの役割はただドラムを叩くことしか求められていなかった。それでも作品(音源)が作りたくて金もないのにローンでMTRを買ったりしたけど、それだって結局はバンドとしてはドラマー以下のしょぼい裏方的な役割だし。1人では曲もいっぱい作っていたが、結局その能力はバンドというものにおいてはほぼ生かされはしなかった。(バンドの最後の最後に森くんと2人でPCの前に座って作ったシングルだけはまだ能力を発揮できたと思う。バンドをやってきた中で一番楽しかったかもしれない。)

でも、1人っきりで借金しまくりながらも趣味で作っていた映像が奇跡的に仕事になっているのだから、オレにはやはりバンド(特にドラマー)みたいな窮屈で受け身な共同作業よりは、自分でイニシアティブをとっていくことができる物作りの方がいいんやろなぁ。

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